元Jリーガーが語るアインラーゲンの魅力
Jリーグで39歳まで活躍されていた吉田康弘(よしだ やすひろ)さんに、アインラーゲンの魅力をお伺いしました。
吉田康弘(よしだ やすひろ)
1969年生まれ。東海大第一高校在学中、全国高等学校サッカー選手権大会優勝。明治大学卒業後、1992年鹿島アントラーズ入団。平均引退年齢が26歳といわれているJリーグで39歳までプレーし、41歳で現役引退。その後、サッカー指導者として後続の育成を行っている。
著書:「組織(チーム)で生き残る選手 消える選手」(祥伝社新書)
アインラーゲンとの出会い
今回はアルカのアインラーゲンを長年ご愛用くださっている吉田さんにお話を伺います。よろしくお願いします!
よろしくお願いします!
まず、アインラーゲンとの出会いはいつでしたでしょうか?
大学卒業後の1992年、鹿島アントラーズに入団しました。当時(23歳)の足のサイズは、実際より小さいスパイクを履いていたことにより24.5cm。幸運にもアルカとの出会いがきっかけでアインラーゲンを使用し、自分に足にあった本来のサイズ27.0cmで、ちょうど良くなりました。
もし、この出会いがなければその後のサッカー人生がケガなどの影響により、大きく変わっていたことは間違いありません。
最初に感じた違和感
アインラーゲンを使用してみて、どのように感じましたか?
アインラーゲンを最初に使用した時は、かなりの違和感を感じました。
それまで使用していたスパイクについてくる、いわゆる既製品に慣れていたのでアインラーゲンの凹凸が自分の足になじむまでにはかなりの時間がかかりました。
今まで無かったものが靴に入るのでほとんどの方が違和感を感じますが、それが正解なんですよね。
ですが、使用開始からひと月ほど経った頃でしょうか?足首が安定してきたことを実感しました。ねん挫と日々格闘していた私にとってこれは大きな収穫でした。
しっかりと足の指を意識して使えるようになったのもこの頃からでした。
一度ねん挫をしてしまうと、靭帯が伸びてしまうので繰り返しねん挫しやすくなるんですよね。しかし、アインラーゲンは横ぶれを防ぎ、踵の安定感を向上させる形状をしているので、ケガを防ぐことが可能です。
そうなんです。そして、その後もアインラーゲンを使い続けることで自分の足の適正サイズ、形になり徐々に足全体の感覚を取り戻していきました。
当時を振り返ると、最初数年は足の感覚を取り戻す為の『リハビリ期間』、その後は『機能向上期間』でした。
プロ選手時代〜ねん挫知らずの足〜
ケガが多くなる30歳からのプレーはいかがでしたでしょうか?
30歳を超えベテランの域に入ると、ひとつのケガが即引退というリスクが年々増してきます。瞬間的な反応時間の遅れは受け入れるほかありません。
しかし、30歳を過ぎてサッカー選手つきものの、ねん挫をした記憶がありません。
私が意識しなくともねん挫をしないような足の使い方を、足が反射的にできるようになっていたということです。
吉田さんはアインラーゲン作成や調整で、アルカに何度もご来店くださいました。
はい。アインラーゲンは一度作れば同じものをずっと使い続けられる訳ではないですからね。消耗もありますが、足の形が変わっていくとともにアインラーゲンも必然的に変化させます。
足の機能改善に向かって、アインラーゲンとともに進化していくようなイメージです。
そうですね。使用するスパイクの形によっても、それに合わせて作成しなくてはなりません。また、年齢とともに足裏は変化していきます。そのため、定期的なチェック・メンテナンスが大切です。
日本のサッカー業界にアインラーゲンを広める
残念ながら、日本ではアインラーゲンへの認識・理解がまだまだ広まっていないのが現状です。
サンフレッチェ広島でプレーしていた外国人選手が皆、当たり前のようにオーダーアインラーゲンを使用していたことを今でも覚えています。
彼らに話を聞くと、ヨーロッパでは幼少期から足についての教育が浸透していて、靴を履き始めると同時にアインラーゲンも意識するという話しを聞いた時は衝撃でした。
ヨーロッパは靴文化の長い歴史をもっているので、特にドイツは靴やアインラーゲンの知識と技術はNO.1です。アルカのアインラーゲンはドイツの足の整形外科の知識に基づいて作られています。
この技術と知識がサッカー業界・スポーツ業界にもっと広まると良いと思います。選手たちのプレーの向上とケガ防止のために、アインラーゲンは欠かせないものです。
今日は、吉田さんにご自身の経験を通してアインラーゲンの魅力をお話いただきました。ありがとうございました!
ありがとうございました!